なぜ「株で損するのは嫌なのに、宝くじは買う人」がいるのか?
世間では、「株はギャンブル」という考え方が相変わらず根強く、株で損するのを極度に嫌う人は多い。
ところが、そういう人でも宝くじを買った経験があることは珍しくないようだ。
宝くじ公式サイトによれば、18歳以上人口のうち、宝くじ購入経験のある人の比率は76.4%、最近1年間に1回以上購入した人だけでも49.1%にもなるそうだ。
ほぼ半分近くの人が、1年間に最低1回は宝くじを買っているわけだ。
これに対し、株式に投資している人はどれくらいいるのだろうか?
それについて確実な統計はないが、証券会社の個人顧客の証券口座数は約2400万口座(2019年12月)ある。
もちろん、一個人が複数の証券会社に口座を開設していることは珍しくないので、実際の個人投資家の数はその半分以下かもしれない。
いずれにせよ、株を買うことは、宝くじを買うほどポピュラーではないことは間違いない。
ここで疑問が湧いてくる。
なぜ、株で損するのは嫌がって手を出さないのに、宝くじを買うことができるのか?
宝くじが割の良いギャンブルならまだわかるが、実際には競馬など他のギャンブルと比べても極めて割の悪いギャンブルであるのに、だ。
交通事故死者数は、ジャンボ宝くじで一等に当たる人数の44倍
宝くじの代表格ジャンボ宝くじは年5回開催される。
ちょうど、5月の今は「ドリームジャンボ宝くじ」が販売されている。
一等が当たれば3億円、前後賞も当たれば合計5億円が手に入る。
なるほど、一攫千金の夢は魅力だろう。
では、ジャンボ宝くじの一等くじは、どれくらいの数があるのか?
今回の「ドリームジャンボ」を含めた直近5回のジャンボ宝くじの一等くじの数を調べてみると、合計73本だった。
ただし、これは73人が確実に当たるという意味ではない。
売れ残りくじの中から一等が出てくる可能性もあるからだ。
最高で73人、といったほうが正しい。
これに対し、2019年の全国の交通事故による死者数は、警察庁によると3215人。
ジャンボ宝くじで一等に当たる人の数のおよそ44倍ということになる。
これが、宝くじに当たるより交通事故で死ぬ確率のほうが高い、と言われるゆえんだ。
まあ、こんな単純な比較で確率を持ち出すのはおかしいが、周りを見ても宝くじで一等に当たった人に滅多にお目にかかれないのは確かである。
そもそも、くじの胴元が半分以上を持っていってしまうギャンブル(宝くじ公式サイトに収益金の使途がちゃんと記載されている)に、お金を注ぎ込む人の神経は私にはどうもよくわからない。
筆者の感覚では、宝くじで10万円以上の賞金を得られる可能性より、株式投資で10万円以上の利益を得る可能性のほうがはるかに高いだろう。
しかも、たとえ株で損を出したとしても、投資金全額が損になることは、投資先の経営破綻などごく限られる(現物取引の場合)。
宝くじは当たらなければゼロになることを考えれば、なぜ宝くじのほうが好まれるのか不思議な話ではある。
少ない元手で大金が手に入る
なぜ、人は株式投資よりも宝くじを好むのか、その理由について若干の考察を試みる。
最初に言えることは、元手が少なくて済むということである。
ジャンボ宝くじは1枚300円が基本であり、10枚買っても3000円。
これでもし一等が当たれば、数億円が手に入ることになる。
ちなみに、購入者の年間購入金額の平均は25,210円だそうだ(日本宝くじ協会平成28年調査)。
株式投資なら、株価が300円の株でも、100株単位で購入する必要があるから最低でも3万円かかる。
仮に株価が10倍になれば大成功だが、それで入るお金は30万円にしかならない。
株式投資で1億円を手に入れようとするなら、元手が数百万円くらいは欲しいところだ。
誰でも手軽に始められて、夢を見ることができるところに、宝くじの魅力がありそうだ。
もっとも、ジャンボ宝くじの一等は1千万枚に1枚(年末ジャンボは2千万枚に1枚)だから、実際に当たることは奇跡に近い。
それでも、買ってしまうのはなぜなのだろう?
低い確率を高く感じてしまう
それは、当たる確率が非常に低いことはわかっていても、「ひょっとすると当たるかも」「可能性はゼロではない」と考える人が多いためである。
人は「低い確率を過大評価したり、高い確率を過小評価したりする」傾向があることが知られており、これを行動経済学では確率加重関数という概念を用いて説明する。
簡単に言えば、願望があることで、実際の確率を歪めて感じてしまうということである。
冷静になって考えれば、宝くじを買うよりも交通事故に備えることにお金を使うべきだが、「宝くじは当たるかもしれない」が「自分は交通事故には会わない」と考えて行動しているということだ。
どんなにわずかな確率でもゼロではないから、自分には幸運が舞い込むと信じる願望があれば、それを受け入れることができる。
ただ、株で儲けられる確率はもっと高いはずなのに、そちらはなぜ好まれないのかという疑問は残る。
大した苦労が要らない
本来、株式投資で儲けられる可能性は、宝くじに当たるよりずっと大きいはずである。
にもかかわらず、宝くじが好まれるのは、苦労がないのに大きな成功が得られるからではないか。
株式投資で成功しようと思えば、さすがに銘柄を適当に買えばいいというわけにはいかない。
そもそも取引をするためには、証券会社に口座を開くという手間をかける必要がある。
経済のしくみや会社の経営についてある程度の知識は必要だし、投資指標やチャートの見方などを勉強することも求められるだろう。
1億円以上増やすとなれば、長い時間をかけてコツコツと利益を積み上げていく忍耐力も求められる。
そこが、売り場に行って注文すれば終わり、という宝くじとは大きな違いである。
宝くじファンからは、宝くじだって番号の買い方や売り場の選択などの情報収集は必要だ、という反論がありそうだ。
だが、宝くじが純粋に抽選くじであるなら、そのような努力は無意味だ。
宝くじに当たる可能性を高める方法は唯一つ、できるだけ多くの枚数を買うしかない。
もちろん、それはコストの増加を意味するから、外れたときのダメージも大きくなるが・・・
何も考えず、大した苦労もなく、運だけで桁外れの大金が手に入る。
これこそが、宝くじの醍醐味だろう。
損したときの言い訳ができる
行動経済学の重要な理論の一つに、「人は、同じ額であれば、利得の喜びよりも損失の悲しみのほうが大きい」という考え方がある。
10万円もらった満足よりも、10万円失った痛みのほうが大きいのである。
だから、損失を回避したいという願望は強く、損失を取り戻すためなら、普段ならやらないようなギャンブル的な行動に出る人も珍しくない。
でも、どうしても損失を回避できないとしたら、どうなるだろう?
損失を受け入れるよう、自分に納得させることが必要だ。
そして、自分を納得させるのに最適な理由は、「この損失は自分の責任ではない」というものだろう。
宝くじは、まさにこの理由にピッタリである。
なぜなら、当たらなかったのは運がなかっただけ、と言い訳できるからである。
宝くじは、自分の努力で結果をどうこうできるものではないのは、先に触れたとおりである。
所詮、人智の及ばないところで決まるのだから、買ったくじが外れても自分のせいではない。
今回は運がなかった、でも次は運が向いてくるかもしれない、と考えれば、損失を出しても納得できる。
株式投資の場合はそうはいかない。
ある銘柄を購入して損を出せば、その銘柄を選んだ自分に全責任がある。
時々、証券マンに勧められたとか、雑誌記事で推奨されていたとかいう理由を挙げて、他人のせいにする人もいるが、投資が自己責任であるのは自明のことだ。
失敗の原因はどこにあったかを反省して、次の行動への教訓にしていける人でないと、株式投資での長期的な成功はおぼつかないだろう。
自分への言い訳がしやすいほうに、人は流れてしまいがちだ。
だから、自己責任が明確な株式投資を避けて、宝くじを買うことに走るのだろう。