年金制度を正しく理解しよう
日経新聞電子版に、ファイナンシャルプランナー山崎俊輔氏のコラム記事「年金制度、損得論・破綻論からの卒業を」(2022.11.28付“FP山崎のLife is Money”)が掲載された。
筆者は、山崎氏が書かれている内容に全面的に賛同する。
筆者は日頃から一部のマスメディアや識者、野党政治家などの年金をめぐる論調に強い不満を抱いてきた。
彼らは、現在の年金制度に関する無知、誤解や曲解に基づいて発言し、あるいは意図的かどうかはわからないがウソ情報を垂れ流すなどしてきた。
年金制度への不安や不信感を煽り、それを金儲けや政治的な材料として利用しようとしているとしか思えない人間が大勢いる。
年金制度は、社会の根幹として超長期にわたって運営されることが前提で、政権交代があったとしても、安定的に引き継がれていくべきものだ。
立場の違いを超えて、皆でよりよい制度設計を模索していくことが必要である。
断じて、金儲けや政府の攻撃材料に利用してはならない。
年金は親世代以上への仕送りである
まず、現在の我が国の年金制度の本質として、賦課方式をとっていることを理解することが必要である。
簡単に言えば、労働に従事する現役世代が年金受給世代に向けて社会全体で仕送りをしている、ということなのだ。
年金制度が存在しなかった時代を思い出してほしい。
リタイアした高齢者を誰が養っていたのか?
たいがいは子供たち、特に家長として“家”を継いだ息子というケースが多かったはずである。
それはあくまで個々の“家”の問題として処理されていたから、子供の経済力次第で高齢者の暮らしは左右されていた。
最悪には親の面倒をみる余裕がなく、「姨捨(うばすて)」のような悲劇を生んでいた。
こうした社会問題を解決すべく、年金制度は生まれた。
個別の家族ではなく、社会全体で高齢者の生活の面倒をみることになったのである。
国民年金や厚生年金を積立貯蓄のように誤解している人が結構いるが、年金保険料はあくまで今の高齢者に仕送りをしているということである。
そして、その仕送りをきちんとやった人だけが、自分が高齢者になったときに年金をもらえる(=仕送りをしてもらえる)という仕組みになっている。
世代損得論の不毛
自分がもらえる年金予定額と支払う年金保険料を比較し、もらえる年金額のほうが少ないのは損だ、と声高に主張する人々がいる。
しかし、「年金は仕送り」という本質を理解していれば、損得論を持ち出すことがおかしいことがわかるだろう。
仕送りに置き換えて考えてみれば、自分が子供世代から受け取れる仕送り額が少ないから嫌だ、という主張しているということになる。
もし、年金制度が無かったならば、あなたが両親や祖父母に仕送りをしないといけなくなっていたはずだ。
その時に、あなたは同じ主張をするだろうか?
両親や祖父母に仕送りをしなくてもいい代わりに、年金保険料を支払っているのだから、損得の話ではないのではないか?
もちろん、現役世代に過重な負担を押し付ける形になってはならない。
親世代も、現役世代の生活が厳しくなってきたのであれば、たとえ仕送りしてもらう額が目減りしたとしても、仕方がないと考えてもらわなければならない。
これが、年金額の増加をある程度抑制する仕組みが必要な理由だ。
このことについて理解が不足しているために、不毛な議論が繰り返されているような気がしてならない。
年金は「長生き保険」である
年金についてもう一つ理解しておく必要があるのは、「年金は保険」ということだ。
どういう保険かというと、どんなに長生きをしても、生活資金を一生涯給付してもらえるという終身保険である。
しかも、受給開始時期を後ろにずらすことで、月々の給付額を増やすことができる保険である。
もし、この保険がなかったなら、予想以上に長寿になったため準備した老後の蓄えが枯渇する、というリスクを常に抱えることになる。
自分がいつ死ぬかを知ることは誰もできないから、安心して長生きすることができなくなる人も多くなるだろう。
「年金とは長生きリスクに備える保険」という理解は、年金制度に詳しい人の間では常識だといっていいだろう。
これを踏まえれば、マスメディアがよく取り上げる「何歳から年金を貰い始めると得か?」という議論が、まったくナンセンスだということがわかるだろう。
言うまでもなく、何歳まで生きられるのかによって受給できる年金総額は変わる。
損得は個人個人によって違うのである。
だから、平均寿命まで生きられるかどうかさえわからないにもかかわらず、損得を計算することには意味がない。
早く死ねばちょっとしか年金は受け取れないし、平均寿命を超えて長生きすれば、たくさんの年金が受け取れるということでしかない。
損得は死んで初めて確定するのであり、その時自分はこの世にいないのだから、得した損したと思いようがない。
ならば、長生きしても十分な生活資金が得られるように、受給開始をできるだけ遅くするほうがいいだろうと筆者は考えている。
もちろん、生活資金に余裕がない人は、前倒しして早く貰い始める選択肢も合理的ではある。
ただし、その後思った以上に長生きした場合には、月々の受給金額が少ないままで一生続く覚悟はしておく必要がある。
いずれにせよ、山崎氏も指摘しているように、年金の損得論からはそろそろ脱却して、長生き保険という性格を理解した上で、受給開始年齢を考えるべきだろう。
年金破綻論には気をつけた方がいい
山崎氏もコラムの中で触れているが、年金破綻論を叫ぶ人々が昔からいる。
高齢者が増加する一方、支える現役世代は少子化によって減少するから、年金制度が遠からず破綻するのは間違いない、というのだ。
これを真に受けて、年金保険料を払っていない人もいる。
しかし、山崎氏が指摘しているように、年金破綻論者の高齢者像は昔ながらの古びたものであると言わざるをえない。
今の高齢者は、昔に比べて体力面で向上し、多くの人が活動的である。
60歳代前半の男性高齢者のなんと82.7%、後半でも60%が働いているということなのだ。
働いて自分で稼いでいる人が多いということは、高齢者でも現役世代として保険料を収めている人がいるということである。
少子化だから年金制度は保たない、という主張は、社会参加も兼ねて働くことを希望する高齢者が増えたという変化を無視している。
人生80年、いや90年が近づいている時代にあって、65歳以上の高齢者は一様に引退するという発想自体が陳腐だ、ということができよう。
国民年金の納付期間を65歳まで延ばすという議論があるが、これも働く高齢者が増えたことと無縁ではないだろう。
納める保険料総額は増えるが、その分将来の給付額も増やせるということだ。
年金破綻論を真面目顔で主張する人に出会ったなら、まず、その人は何を目的にそうしているのかをじっくり見極めよう。
著書やセミナーを売りたいのか、金融商品を買わせたいのか、世間の注目を浴びたいのか、誰かに洗脳されているのか、等々。
間違っても、年金保険料を未納にすることは絶対にやってはいけない。
それは現在の受給世代への仕送りを拒否することであり、同時に自分が将来の仕送りを受け取る資格を放棄することにほかならない。
年金を受け取れるのは、年金保険料を負担した者だけである。
60歳を過ぎてから慌てても、後の祭りだ。
もちろん、年金破綻論をぶっていた人たちは何も面倒はみてくれない。
繰り返しになるが、年金制度は国家の根幹に関わる超長期的な仕組みで、政権にかかわらず安易に廃止することはできない。
資金のやり繰りが厳しくなりそうなら、税金を投入してでも信頼を維持しようとするだろう。
もし、年金制度が破綻することがあるとすれば、それは革命やクーデター、あるいは外国の侵略によって政府が崩壊したときだ。
それでも、あなたは年金破綻論を信じますか?