“老後2千万円問題”の正しい理解
さる7月3日、5年ごとに行われる「公的年金の財政検証」が発表された。
経済の高成長ケースからマイナス成長ケースまで4つの想定について、モデル年金の給付水準見通しや年金財政の健全性をシミュレーションしたものである。
年金の財政検証は改善
詳細については厚生労働省の発表資料やメディアの解説記事をご参照いただきたいが、総じて言えば前回(2019年)よりも見通しはやや改善した。
この5年間はコロナ禍があったものの、高齢者や女性の労働参加がいっそう進展していることや、GPIFによる積立金運用が好調なことが背景にある。
相変わらず、メディアでは年金不安を煽るような言説が散見されるが、わが国の年金制度は課題はありながらも十分機能しているといってよく、過度の不安を抱く必要はまったくない。
むしろ、「年金制度はいずれ崩壊する」「保険料は払い損になる」といったデマを信じ込み、保険料の支払いを怠った結果、高齢期に無年金になってしまい困窮することのほうが恐ろしい。
あるいは、手っ取り早く資産が増やせると期待した結果、仮想通貨などの高リスク運用に手を出して大損したり、投資詐欺に引っ掛かって蓄えを全部失ったりすることも、バカバカしい話だ。
年金破綻論を信じるなど、百害あって一利なしである。
2千万円の蓄えがないと安心した老後は送れない?
年金に関連して思い出すのが、2019年に金融庁のワーキンググループの報告書から発生し、いまだ世間を騒がせて続けている「老後2千万円問題」だ。
2017年の家計調査のデータをもとに、夫65歳以上・妻60歳以上の無職夫婦二人の高齢世帯の収支が月およそ5.5万円の赤字であることから、それが単純に30年間そのまま続くとすれば約2千万円の赤字になる、としたものである。
若い頃からの資産形成の重要さを強調したい狙いだったようだが、“2千万円”という数字だけが独り歩きして大論争となり、当時の麻生財務相兼金融担当相が報告書の受取を拒否する事態にまで発展した。
そんな大金を貯めるのは無理、年金の額があまりに低すぎることが問題だ、と声高に叫ぶ人々も大勢いた。
年金制度改革は失敗しているとして、鬼の首を取ったように政府を批判する人々もいた。
だが、そもそも、この2千万円の意味を本当に理解している人はどれだけいるのだろう?
あらかじめ2千万円を用意しておかないとまともな日常生活が送れない、という意味だと考えている人が少なくないのではないか?
実はそれは間違った認識だ、と言って差し支えない。
2千万円は必要な貯蓄額ではない
なぜなら、前提条件にツッコミどころが満載だからである。
まず、根本的な問題として、家計調査のデータは毎年変わる。
つまり、2千万円という数字は流動的なものでしかない。
ちなみに、2022年のデータでは毎月収支の赤字は2.3万円と2017年の半分以下に縮小しているそうだ(2023.8.6産経新聞WEB版「結局いくら必要なの? 老後2千万円問題の解き方」)。
次に、モデルとなっている世帯が夫婦二人とも無職だという点である。
高齢者の労働参加は顕著に進んでおり、2022年の就業率は60~64歳で73.0%、65歳以上でも25.2%に達している。
これは世界的にみても、欧米を大きく上回る水準だ。
当然、働いていれば収入が発生するから、就労状況次第で毎月収支は大きく改善する可能性が高いだろう。
30年ずっと同じ収支が続く、という前提も現実にそぐわない。
働き方や家族構成、健康、住居、近隣や友人との付き合い、趣味、社会経済状況などに応じて家計支出額はどんどん変わるのが普通である。
また、30年後まで夫婦二人とも生きていて、現在と同じような生活を続けるという可能性はかなり低い。
老後の資金として大きなウェイトを占める退職金が、計算上まったく考慮されていないこともおかしい。
要するに、老後のために必要な貯蓄額は各世帯の事情で異なるのであって、統計から一律に単純計算した金額を鵜呑みにすることはやめたほうがよい。
そもそも、2千万円は30年間の赤字単純合計に過ぎず、定年を迎えるまでに絶対用意しておかないといけないわけでもない。
本当に大事なのは、自分がもらえそうな年金額の水準を正確に把握し、それに合わせた生活設計をするということであろう。
世間では、「老後が不安だ」と口にする人は大勢いるが、ではその人たちが自分がいくら年金をもらえる見込みなのかをしっかり調べたかというと、何もしていないことが意外に多い。
ねんきんネットのサイトにアクセスすれば簡単にわかるのに、である。
要するに、漠然と不安は感じているけれど、本音は大して気にしていないのである。
そこへ2千万円という数字が突然出てきたので、ビックリして大騒ぎした、というのが実情だろう。
年金は日常生活費の面倒をみてもらう“仕送り”
もちろん、年金収入だけで、現役時代と同じような金遣いで生活することは難しいのは間違いない。
しかし、元々、年金は現役時代と同じ水準の収入を保障するものではない。
食費、住居費、光熱費など日常生活に欠かせない出費をまかなえるレベルの収入を確保するためのものである。
どうしても年金だけでやっていきたいなら、その範囲内で生活できるように、贅沢を控え、支出を見直すのが本筋だと言ってよい。
インテリアや高額家電製品の購入、趣味や旅行にかける費用、交際費など生活を豊かにするための出費は、国に面倒をみてもらうのではなく、自分で用意するのが当たり前ではないだろうか?
こう言うとすぐに、「年老いてからも労働を強制するのか!」と青筋を立てて怒る人が出てくるが、嫌なら別に働かなくていいのである。
その代わり、年金で生活できるように支出を調整すればいい。
年金額ではまともな生活を送れないと不満を言う人は、その多くが自営業・フリーランスなどで国民年金にしか加入していなかったケースだろう。
確かに国民年金だけでは生活資金としても心許ないので、年金を補う算段を若いときからやっておくことは必須だ。
また、近年は転職を複数回する人も珍しくないが、その場合、退職金の金額は少なくなりがちなことも留意する必要がある。
以前にも当ブログに書いた(「年金制度を正しく理解しよう」2022.11.29)ように、わが国の年金は賦課方式であり、その本質は「働いている現役世代からの仕送り」である。
もし、年金制度が存在しなかったとしたら、あなたは子供や孫から仕送りをしてもらって老後を過ごさないといけなくなるだろう。
そのとき、子供や孫に向かって「旅行や趣味の出費に使えるお金が足りないから、仕送りをもっと増やせ」と言うだろうか?
おそらく、自分でなんとかしようとするのではないか。
老後2千万円問題とは、ゆとりある老後を送るためには自己努力が不可欠だよ、という警鐘をあらためて鳴らしたに過ぎないものだったといえるだろう。
(ご参考)
年金についてもっと知りたい人には、故・大江英樹氏が書かれた「知らないと損する 年金の真実」(ワニブックスPLUS新書,2021)を一読することをオススメする。
また、日経新聞の記事(例えば「マネーの知識ここから・年金」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB196RO0Z10C24A1000000/)なども有用だ。