理想の追求は吉となるか?~クックパッド(ビジネスモデルが躓くとき-その2)
うまくいっていたはずのビジネスモデルが何かをきっかけに躓くことがある。
そのようなケースを取り上げて財務面から考察するこのシリーズ、第2回はクックパッド株式会社だ。
クックパッドは1997年に創業、翌98年から始めた料理レシピに関するインターネットサービスの運営で急成長を遂げた企業だ。
2009年に東証マザーズ市場に上場し、2年で東証一部に市場変更されている。
「毎日の料理を楽しみにする」を企業のミッションとして掲げ、日本最大の料理レシピ投稿サイト「クックパッド」を運営していることはご存じの方も多いだろう。
投稿された料理レシピの数は、300万品以上に達しているという。
安定した収益を見込めるプラットホームビジネスとして脚光
クックパッドの収益源は大きく分けて2つある。
1つ目は、食べログやアットコスメなど他の投稿プラットホームサービスのサイトと同様、広告の掲載枠販売による売上である。
クックパッドの場合は、食品に関する広告が主体となる。
2つ目は、会員事業からの収益である。
その主体となるのが、プレミアムサービスの月額会費だ。
ユーザーがクックパッドにレシピを投稿したり、検索したりすることは基本的に無料でできるが、有料のプレミアム会員(税抜280円/月)になると、下表のような様々な便益が得られるようになる。
無料会員から有料会員になる人数を増やすことが、事業の成長に直結する。
プレミアム会員数は2019年末時点で198.9万人である。
クックパッドの強みは、他サイトに比べて圧倒的な数の有料会員を抱えることにあるといってよいだろう。
広告収入は景気変動など外部環境に左右されやすいが、この会費収入は安定した収益が見込める。
有料会員数増加を実現したことこそ、クックパッドがビジネスモデルの成功例として注目された最大の要因だといってよい。
クックパッドの成功をみて、楽天などもレシピ投稿サイトの運営に参入してきた。
だが、クックパッドの牙城を崩すことはできず、その地位は盤石だと思われた。
内紛勃発、創業者と社長が経営路線を巡って対立
クックパッドの創業者、佐野陽光氏は2012年に社長を退任し、カカクコム社長などを務めた穐田(あきた)誉輝氏が社長となった。
穐田氏はクックパッドの業績をさらに伸ばしたので、投資家からも高い評価を受け、2015年末にかけて株価はうなぎのぼりの状況だった。
ところが、2016年1月激震が走る。
取締役で筆頭株主でもある佐野氏が、取締役刷新の株主提案を提出したのだ。
佐野氏は提案理由の中で、同社の現状について「基幹事業である会員事業や高い成長性が見込まれる海外事業に経営資源を割かず、料理から離れた事業に注力するなど、中長期的な企業価値向上に不可欠な一貫した経営ビジョンに大きな歪みが出てきました」と穐田社長の経営路線を公然と批判した。
佐野氏は、穐田社長主導で結婚情報サイトを運営する「みんなのウェディング」を2015年に子会社化するなど、食以外の事業領域にクックパッドが進出していることに不満をもっていた。
実は、佐野氏は前年11月に会社の経営方針変更と自身の社長復帰を同社に提案していたが、取締役会によって拒否されていた。
そこで、奥の手として株主の権利を行使したのである。
佐野氏は議決権の40%強を握っており、事実上、現経営陣に拒否権を発動したことに等しかった。
その後、株主総会を経て、同社の社長は佐野氏が推す岩田林平氏に交代し、ほどなく穐田氏は社外に去ることになった。
結局、経営方針は一新、みんなのウェディングは2017年に売却され、クックパッドは料理に関連する事業に限定した事業展開へと回帰した。
佐野氏の意向通り、会員事業の拡大と海外展開に注力していくことになったのだった。
この出来事は、大株主が社内のガバナンスや少数株主の利益を無視して経営を強引に変えてしまったのではないかとして、社外でも議論の対象となるなど注目を浴びた。
投資家からの評価は大きく毀損し、株価は一転して暴落した。
社内でも、経営方針の急激な変更に現場が混乱し、新体制に失望した幹部人材の流出などの影響もあったようだ。
高成長から一転、利益は低迷
混乱を経て料理関連事業に専念することになったクックパッドだが、成長軌道に変化がなければ問題はなかっただろう。
ところが、騒動収束後に同社の業績は急速に悪化している。
売上収益、営業利益とも大きく減少し、2019/12期にはかろうじて営業利益はプラスを維持した状況だ。
クックパッドは国際会計基準IFRSを採用しているので、日本企業の見慣れた決算書とは少し違う形をしている。
同社の損益計算書でいえば、収益・費用が「事業部分」と「その他」に分けて計上され、その上で営業利益が算出されることが特徴の一つである。
相当額の「その他の費用」を毎期計上しているが、内訳をみると、のれんや有形固定資産などの「減損損失」が大半を占めている。
したがって、営業利益は減損損失を加味したものであることに留意する必要がある。
それにしても、2015/12期では64億円近くあった営業利益が、2019/12期にはわずか3億円になってしまったことには驚かされる。
そして、減少の原因は、売上収益の伸び悩みと販管費の膨張であることは明らかだ。
広告売上の落ち込みと国内利用者数の減少
まず、売上収益の伸び悩みから検証してみよう。
クックパッドの売上収益の9割弱は、国内のレシピサービス事業から生じている。
その国内レシピサービスは、成長の減速が鮮明になってきている。
特に、会員事業と並ぶ収益の柱である広告事業の売上減少が顕著だ。
広告事業が不振なのは、レシピサービスの開発優先のため、クックパッド自身が広告販売枠を減らしていた事情も影響しているようだ。
だが、より懸念されるのは、クックパッドの国内利用者数が2016年をピークに減少傾向にあることだ。
一時は6千万人を超えていた国内利用者数が、2019年第4四半期には5千3百万人ほどになっている。
プレミアム会員数は今のところ横ばいを保っているようだが、サイト利用者数が伸びないとプレミアム会員数も増えないことは想像がつく。
当然、会員売上の増加も簡単にはいかないだろう。
利用者数減少の原因として、複数の人によって引き合いに出される事象が、料理レシピ動画の台頭である。
クラシル、デリッシュキッチンといった料理専門の動画投稿サイトが人気を集めるようになり、YouTubeでも料理の様子を撮ってアップロードした動画が溢れている。
文字よりも動画のほうがわかりやすく、直感的に理解できて、気軽に挑戦できることが人気の秘密のようだ。
もちろん、クックパッドも料理レシピ動画のトレンドを無視していたわけではない。
2017/12期から「cookpad TV」を本格的に立ち上げて動画事業に参入し、ユーザー自身が動画を撮影・投稿できる「cookpad studio」もオープンさせた。
しかし、やはり出遅れ感は否めず、料理動画では他社の後塵を拝する状況にある。
レシピを選び、じっくり読み込んで料理をつくるユーザー層は、元々、料理に熱心な人が中心だろう。
だが、時短料理がもてはやされることに象徴されるように、多忙な人が手っ取り早く料理を済ませたいというニーズも大きい。
そういった人たちにとって、膨大な数のレシピが溢れるクックパッドは、かえって使いにくいという側面がある。
クックパッドの国内での成長が鈍化しつつあるのは、目新しさが薄れ、より利用目的にあったネットサービスに移行する人が増えていることの現れかもしれない。
投資先行局面にある海外事業
国内の成長鈍化は、クックパッド自身も予想していたことかもしれない。
現在、同社が注力するのは、海外でのレシピサービス事業の育成だ。
販管費が急増しているのも、海外事業のために多くの人材を採用していることが背景にある。
世界でNo.1のレシピサービス・プラットホーム運営企業になることは、創業者佐野氏の夢であるようだ。
2017/12期決算説明会資料にも、海外展開を加速し「世界100カ国でNo.1に」なると記されている。
そのため同社は、2017年からの10年間は、サービス開発、ユーザー獲得、ブランド構築に積極的に投資する「投資フェーズ」と位置づけている。
海外事業だけでなく、国内でも生鮮食品のECプラットホーム、調味料や料理道具などを扱う通販サイトなど新規事業を立ち上げている。
2018年9月には、「投資優先のため剰余金の配当は当分行わない」という方針を取締役会で決議した。
2019/12期末では、レシピサービス展開国は74ヵ国・32言語に及んでおり、サイト利用者数も前掲のグラフの通り急速に増加している。
国内利用者数を追い抜くのは時間の問題だろう。
すでに、投稿レシピ数は海外が2019年第4四半期に国内を上回った。
もっとも、海外事業はいまだ赤字が続いている状況で、黒字化の見通しについても同社は公表していない。
それどころか、どうやってマネタイズするのか、具体的なビジョンすらまったく示されていないのが現状だ。
まずはユーザーニーズに合わせたサービス開発に注力して事業基盤を固め、その後にマネタイズを検討するという。
当分は、国内事業での利益を海外事業に注ぎ込むという形は変わらないだろう。
強気な投資を支える盤石なB/S
“利益は度外視”とも言えるクックパッドの強気な投資姿勢は、同社の強固な財務基盤が支えている。
自己資本比率は85.9%にも達し、しかも資産はほとんどが現預金として蓄えられている。
のれんや有形固定資産は減損を毎期しっかりやっているので、B/Sは健全そのものだ。
利益は減っていても、現預金は増加を続けている。
これは、フリーキャッシュフローが黒字であるうえに、配当をやめているから、大きな資金流出がないためだ。
投資といっても、クックパッドの場合は大規模な設備投資などは必要なく、新規採用による人件費負担が投資の中心になる。
国内レシピサービスでキャッシュフローが十分確保できているかぎり、経営に支障は出てこないだろう。
利益よりもキャッシュフローを重視する経営方針は、同社自身が2018/12期決算説明会で明言している。
当社はキャッシュ及びキャッシュフローを見て経営を行っており、PL の赤字/黒字は強く意識していません。
「2018年12月期通期決算説明会 主な質疑応答の要約」より
従って、将来的に積極的に投資した結果として、PL 赤字になるという可能性は十分に考えられます。
少なくとも、2027年頃までは、海外事業を始めとする投資優先路線は続くことになる。
夢に共感できる人のみ参加できる!?
株主には無配当で、利益よりもキャッシュフロー重視で、ひたすらユーザーニーズに応えるサービス開発やブランド構築に資金を投じ、世界No.1を目指すというクックパッドの経営スタンスは、どことなく米国アマゾン・ドット・コムを彷彿とさせる。
アマゾンも長らく投資優先で利益は赤字を続けていたが、それが現在では大きく花開いた。
おそらく、佐野氏もアマゾンの経営者ベゾス氏と同じような心境なのではないか。
ただ、クックパッドとアマゾンには大きな違いがある。
アマゾンは利益が赤字だった時代にも、ベゾス氏のビジョンに多くの投資家が共感して投資を継続したため、株価は上昇をずっと続けていた。
しかし、クックパッドの場合は、内紛を契機として株価は暴落し、その後はさらに低迷したままである(下図)。
残念ながら投資家からの理解は得られていない、と言わざるを得ない。
この先10年近くも無配で、株価も上がらないとすれば、投資しようという人が出てこないのも不思議ではない。
キャシュリッチなB/Sと割安な株価に着目している投資家も一部いるようだが、海外事業の黒字化が見えてこないと、なかなか市場での注目は集まらないだろう。
現在のクックパッドは、佐野氏が抱く「世界一のレシピサービス運営企業になる」という夢と理想に共感できる人のみが参加できる企業なのだ。
問題は、投資の成果がいつ収益化するのか同社自身にもまったく予想がつかない、ということだろう。
料理レシピ動画は脅威になるか
レシピサービス事業が今後も国内で成長を持続できるのかも、やや不透明である。
この点について、料理レシピ動画の台頭に対するクックパッドの認識は間違っている、と久保田大海氏がブログに書いている。
久保田氏は、クックパッドは「料理の再現性はテキストのレシピのほうが高いから、テキストの優位性は崩れない」と考えているが、レシピ動画が人気を集めるのは再現性の問題とは関係ないと言う。
彼の文章を引用してみる。
なぜ「レシピ動画サービス」が流行るのか?
出典:KOMUGI!「さよならクックパッド」2017.10.26投稿より
「レシピの再現性」は関係ありません。
(中略)そもそも「料理をしよう」と能動的に取り組む人よりも、「料理したくないな、でもしなきゃなぁ」と受動的に思っている母数の方が、圧倒的多数です。
(中略)年々仕事の忙しさが増す中で、毎日の料理を楽しくしてくれるのは「レシピの再現性」ではありません。
レシピ動画を見て「これなら私でもつくれそうだな♪」と、料理に対して前向きな姿勢になれるところにこそ、料理の楽しさが存在します。
さらに久保田氏は、サイト利用者数の減少傾向も、検索サイトのアルゴリズム変更が原因なのではなく、「パソコンからスマホへ」「検索エンジンからSNS・アプリへ」という変化によって、プラットホームとしてフォーカスすべき相手が「料理レシピ投稿者」から「料理をしようと潜在的に思っている受動的なユーザー」へと変わったことが背景にあると主張しておられる。
確かに、クックパッドは料理レシピ動画をあくまで娯楽として捉え、実際に料理をつくることには結びつかないと考えていることは、次の決算説明会質疑応答でもうかがえる。
【Q8】
「2017 年 12 月期通期決算説明会 主な質疑応答の要約」より
他社と比較した際の現在の料理動画事業のポジションや、他社との違い(トラフィック、滞在時間、ユーザーの特徴等)を教えてください。
【A8】
世界中で様々な料理動画サービスが提供されていますが、エンターテインメントとしては良いものの、実際に料理してもらうことに繋げるのは難しいと考えています。
当社は、例えば、StoreTV のように、スーパーで短時間の料理動画を流すことで、献立決定に繋げ実際に料理を作ってもらう等、「料理のつくり手を増やすこと」にフォーカスしてユーザーが動画を活用するサービスにしていきます。
(実際に料理をするシーンではレシピは)テキストが使いやすいと考えていますが、当然音声や動画にもそれぞれ適切な場面があると思っており、「料理のつくり手が増えるかどうか」を追求しながら、バランスを考えてサービス開発を進めていきたいと思っています。
【Q6】
「2018 年 12 月期通期決算説明会 主な質疑応答の要約」より
YouTube の料理動画は多くのサブスクライバーを集めています。今後 YouTube を活用する計画があるか教えて下さい。
【A6】
現状、YouTube についての方針は特に定めていません。
料理動画は世界中で沢山視聴されていますが、料理動画を視聴することと料理動画を基に実際に料理を作ることには大きなギャップがあると我々は考えています。
当社グループでは、CookpadTV 株主会社を中心に、料理動画を通じてどのように料理の作り手を増やすことに繋げるのかという課題に挑戦しており、その中の選択肢として今後YouTube を活用する可能性はあります。
果たして、料理レシピ動画は娯楽として楽しまれているだけで、クックパッドのレシピサービスと競合するものではないのか?
それとも、久保田氏が主張するように、料理レシピサービスにおいてフォーカスすべき相手が本質的に変化したと捉えるべきなのか?
今後数年の各サービスの利用者数動向が明らかにしていくことだろう。